呼びかけ人代表からのアフターコメント


● 枝廣 淳子
私は大学院修士2年のときに、博士課程に残るのをやめて、就職し社会に出ました。高校の時は大学に入るために、大学の時は大学院に入るために頑張りました。そしてようやく大学院に入ったのに、一向に待ち望んでいた楽しく充実した「いま」がやってこなかったからです。

このままでは、博士課程に入るために、その先もおそらく、助手になるために、講師になるために、助教授になるために、教授になるために……と、半永久的に「いま」を生きることが先延ばしされてしまうのではないか。「未来が現在を侵食しつづける」見通しに耐えられなくなって、「や〜めた」と降りてしまったのでした。

その時から、いえ、きっとそれ以前から、「いま・ここ」は私の大切なキーワードです。大学院を飛び出してみて、「これまでは未来のための準備が90%、いまを生きているのが10%ぐらいだった。今では30%は今後のために活動しているけど、70%は“いま”を楽しめている」と思ったことを覚えています。「よかった」と。

「いま・ここ」に100%いるということはなかなか難しいことです。何をしていても、つい明日の会議のことや今後の不安などが頭をよぎってしまう。誰かと一緒にいても、本当にその人と100%いっしょにいるかというと、次に会う人のことを考えていたり、失礼な人(いや、忙しい人、というべきでしょうか)は、携帯電話を知らない人と話をしていたりします(次の段取りをしているのでしょうね)。

「いま・ここ」の時間を過ごすとは、自分と向き合うこと。相手と向き合うこと。キツイこともあるでしょう。大して大事だと思っていないテレビをつけっぱなしにしているのは、自分の気を散らせ、「いま・ここ」を避けようとしているのかもしれません。
でも「いま・ここ」の時間は、とても優しく、とても豊かな時間なのだと思うのです。自分自身とも、まわりの人ともしっかりとつながっていられる。ありのままの自分でいられる。自分を取り巻く空気の流れやかすかな音も香りも感じられる。遠く離れたところに住んでいる見知らぬ人々や、ずっと昔に地球で生きていた人間や動物、植物にもつながることができる時間です(過去は現在の中にあるのです)。

いつもいつも「よりよい明日のために」「いつかやってくるはずの将来の幸せのために」、“いま”の密度を薄めて生きるのではなく、現在がどういう状況だって「いま・ここ」にいられる。そんなきっかけなったらいいな、と思って、私はキャンドルナイトの呼びかけ人になりました。

キャンドルナイトで初めてマッチを擦った子どももいるでしょう。自分からは照れくさいけど「こういうのがあるから、やってみないかい?」とステキなきっかけや口実にしてくれたお父さんたちもいるでしょう。

現状や問題を批判したり闘うことも重要ですが、そういう「非」「反」よりも、「もっと快なものへ」向かうエネルギーのほとばしりを感じた人もいるでしょう。
「頭より身体」「考えるより感じる」「論じるより浸る」という感覚が新鮮だった人も、HPで展開されたキャンドルスケープに、私たち人間の想像力の足りないところをITが埋めてくれる可能性にワクワクした人もいるでしょう。

これまでは「ライトアップ」が好ましいことでした。「点けること」「使うこと」「頑張ること」が望まれていました。今回「ライトダウン」「消すこと」「使わないこと」「頑張らない」をやってみると、消すための(自分の)エネルギーって少なくて済むんだなぁ、と思った人もいませんか?(これこそ、省エネ!)。

ローソクは、それ自体が自立しています。電源コードに支えられなくても、ひとつひとつが「いま・ここ」で光を発し、燃え尽きていきます。そのローソクに静かに向き合うとき、私たちも「いま・ここ」の入り口に立っているのではないか、と思うのです。

私は夏至の夜のキャンドルナイトのあと、3回程ミニキャンドルナイトをやっています。みんなで一緒にやるのは、今度は冬至かな? 来年の夏至の日かな? でも「1年に1回」「1年に2回だけ」なんて決まっていませんから、ときどき、前のめりになりがちな時間をぐっと引き戻す、そんな時間をぜひ持ちたいな、と思っています。