呼びかけ人代表からのアフターコメント


● 辻 信一
一年で一番日の長い夏至の日。多くの伝統社会が、これを聖なる日として、祝い、祭り、祈った。太陽エネルギーのおかげで生きていることへの感謝と畏敬の念がそこにはあった。だがそのことに思いを馳せる現代人はもうほとんどいない。

電気を消す。すると暗闇が戻ってくる。日本人の8割が町に住むと言われる今、ぼくたちのまわりから闇が消え去って久しい。電気を消して、月や星を見よう、蛍を見よう、という人々がいる。ただ闇の中でじっとしている人、愛し合っている人たちもいるだろう。焚き火をしたり、ローソクを灯す人たちもいる。ローソクの火は闇を引き立たせ、闇は火を輝かせる。

テレビをつけっ放しにして食事する日本人が多い。それが日本の文化度の低さを物語っている。電気を消してローソクの火で食事をしてみよう。ただこれだけの行為の中に、輪になる、共に食う、火を囲む、という3つが同時に実現されている。思えば、それらは、人間が人間であることを示す文化の3大要素と言ってもいいくらいだ。そんな大事なことさえ、忙しさに追われるぼくたちはどこかに置き忘れてきてしまったわけだ。

学生たちを連れて北米や南米の太古の森を訪ねる。彼らが一番幸せそうに見えるのはたぶんみんなで焚き火を囲む夜だ。こぼれるような笑みを顔いっぱいに湛えながら、涙を流す子たちもいる。そんな時、ぼくは思うのだ。この瞬間のためにわざわざ地球の裏側までやってきたんだな、と。そして、ぼくたちの「豊かな」社会が、これだけの喜びさえ子どもたちに与えることができなくなっていることを思って愕然とする。

ぼくたちは蛍光灯の明るさの下に自由や幸せを求めてきたらしい。「向こう20年間、毎週ひとつかふたつの発電所建設」によってのみ、経済の成長と繁栄は保証されるとするブッシュ大統領ではないが、電気の消費量が多ければ多いほど、夜が明るければ明るいほど、その社会は豊かで進んでいる、という奇妙な思い込みに我々は囚われていたようなのだ。しかし、金儲けのためには、戦争をしたり、自分たちの命を支えている生態系を壊しても仕方がない、などという経済は果たして経済と呼びうるのだろうか。

確かに、暗闇には、そしてローソクの炎や焚き火の回りには遠い時代から連なるゆったりとした時間の流れがある。その流れに身を浸して、これまでの自分たちを支配してきたファストライフという狂気から目覚める。「そんなことしても省エネにはあんまり効果ないよ」、というシニカルな声が聴こえてきてもひるむ必要はない。キャンドルナイトが、ぼくを変える。すると、ぼくもその一部であるこの世界は、かすかにではあれ、確かに変わるのだ。

皆さん、来年の夏至もぜひまた楽しくやりましょうね。ぼくは冬至もやります。春分や秋分も。そんな具合に、どんどん忘れられかけている大自然とのつながりを取り戻していけたらいい。