結火・むすび / Vol.05
芒種
芒種(ぼうしゅ)は二十四節気の1つ。芒(のぎ : イネ科植物の果実を包む穎(えい)すなわち稲でいう籾殻にあるとげのような突起)を持った植物の種をまく頃。実際には、現在の種まきはこれよりも早い。西日本では梅雨入りのころとなる。
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『日本一早い新米を送ります』毎年6月になると、種子島の祖母から、この一筆と共に南の島の新米が送られてきます。「日本一早い」と銘打っているのは実は宮城、岡山、高知と色々あるので本当の日本一は分からないのですが、新茶に続き新米と、「新しい」食べ物と聞くとどこか心がわくわくします。

本日より、暦の上では「小満(しょうまん)」を過ぎて「芒種(ぼうしゅ)」となりました。

芒種は穀物の種まきの季節。お米の田植えも始まります。わたしたちの暮らしには当たり前にあるこのお米。真っ白な炊きたてのご飯さえあれば、それだけで食卓はどっしりと落ち着き、何でも美味しく感じられる幸せな食事ができるというものです。

今日は、お米にまつわる小話をお届けします。

山口素堂
「目に青葉山 山ほととぎす 初松魚」芭蕉にも影響を与えた山梨県出身の江戸時代の俳人、山口素堂の俳句。「松魚」は「鰹」の昔のいい方。目には青葉が映るこの季節、山ではほととぎすが鳴き、初ものの鰹が見られる、の意。初夏の季節の文句としてとても有名。
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明日、世界が終わってしまうとしたら最後の晩餐には何を選ぶ?

友達とこんな話をする時、「白いご飯」と答える人はとっても多い。わたしも迷わずそう答えます。隣には葱のお味噌汁と梅干しが並んでいたら嬉しいし、さらに欲を言えば新鮮なお刺身も一緒なら、もう何も言うことはありません。それくらい、多くの日本人に取って小さな頃から思い入れが深い、白いご飯。

美味しく炊けているご飯には、旬の食材を隣り合わせにしたいものです。今の季節なら、初鰹(かつお)ですね。


山口素堂の『目に青葉山 山ほととぎす 初松魚』という言葉のとおり、江戸っ子たちにとって初鰹といえば、出だしと聞けばすぐさま走っていて、借金してでも買い求めるくらい魅力的な魚でした。今では1年中食べられるようになった魚は数多くありますが、一方で今でも鰹、鮎(あゆ)、鱧(はも)といったように、季節限定の「初もの」として食べられる魚も数多くあります。「初ものを楽しむ」というのは、食に敏感な日本人の心には常にある、特別に粋な感覚なのでしょう。
刺身につける醤油は甘い醤油
砂糖醤油のこと。九州地方では飲む酒が辛い焼酎なので、醤油には砂糖の入った甘いものを一般的に使用する。

旬の鰹は煮たのでも焼いたのでもなく、刺身で食べるのが一番美味いですね。先に述べた祖母の実家のある種子島の方では、刺身につける醤油は甘い醤油です。生姜と葱を乗せた鰹にこの醤油をたらして、ご飯と一緒に口に含むと、お米の甘みとあいまってさらに深い味わいになります。この味はわたしが心から楽しみに食している夏の味です。


夏に限らず、ご飯に合わせて旬のものをいただくのが日常大切にしている食事の楽しみなので、せっかくだからご飯を美味しく炊けるようになろうと、このごろでは、毎日のように土鍋でご飯を炊くようになりました。


はじめちょろちょろ、中ぱっぱ
じわじわする頃火をひいて、赤子泣くとも蓋とるな」鍋で米を炊くときの火加減の教え。初めは弱火で少しずつ、湯気がでてきたら中火にして、ことこと言い始めたら火を弱めて少しするとおこげがほんのりできて美味しいご飯が炊けます。子供が早く早くとねだってきたとしても、決して蓋をあけないで、むらしてからいただくのがコツ。

「はじめちょろちょろ、中ぱっぱ、じわじわする頃火をひいて、赤子泣くとも蓋とるな」

で教えられる火加減は、簡単そうに見えて意外と難しいもの。油断してると、固くなりすぎたりやわらかすぎたり、100点のご飯はなかなかお目にかかれません。この難しさがまたいい。放っておけば常に同じものを炊いてくれる炊飯器よりも、火の前でじっくり様子をうかがいながらながら、丁寧に炊くご飯の方が、不思議と美味しく感じます。

家に大勢人を呼ぶときには、一度にたくさん炊いて、おむすびを作ります。手鞠寿司(てまりずし)サイズにして、シーチキンと大葉、梅じそと沢庵、煮豚と葱などなど、色々な具を揃えると目にも楽しくて、気に入っています。色とりどりのおむすびは女の子に人気で、男の子が喜ぶのは、炊きたてのあつあつを、水と粗塩をつけた手で、ぎゅっぎゅっと握っただけのシンプルな「塩おむすび」のことが多いです。

このおむすび、実はこのコラム「結火」の語源となっています。

「むすび」の「び」は太陽を意味する「日」で、太陽は万物を作り育てる存在であることから「産巣(むす)」であるとされました。太陽の恵みで授かるお米を握って食すその神秘的な味わいを大切に想い、「産巣日(むすび)」から転換し、御の字をつけて「御結日(おむすび)」となりました。

また、お米は命のように本当に大切なものであったことから、「命をいただきます」という気持ちをこめて「おむすびをいただきます」と言うようになりました。これが、今日、わたしたちが食事をする前に何気なく言っている「いただきます」です。外国のように食卓でお祈りをする文化はありませんが、「いただきます」には命に対する敬意の気持ちがこもっていたんですね。

北大路魯山人
マンガ「美味しんぼ」に登場する海原雄山のモデルになったことでも知られる昭和の美食家。京都、上賀茂神社の社家の家に生まれるが、若い頃は苦労が多かったという。40代以降、陶芸や美食に目覚め、1929年に会員制食堂「美食倶楽部」を発足。自ら振る舞う料理のための椀や食器を作り始めたことから、晩年、人間国宝に推挙されるまでになる。
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「100万人のキャンドルナイト」でお送りする文章は、良く炊けたご飯でむすんだ塩おむすびのように美味しく、さらにはそれを読んだ人同士の命の灯りがゆるやかに結ばれていきますように、という想いをこめて、おむすびから「結火」とつけたのでした。お米は日本に限らず世界中で食べられている食材なので、地球中の人の心の灯りを結ぶことだって、難しいことじゃありません。

「今の農法では、1粒で1500粒のお米を作れる。そしてわたしたちが食べる茶碗は約3000粒。ということは、お茶碗一杯はもとをたどればたった2粒なんだ」という話を聞いたことがあります。たった2粒がお茶碗をいっぱいに満たすまで命を広げ、ご飯ができているのです。2粒のお米を手に取って見つめれば、それが作り出すお茶碗のまあるい世界が、そしてその先に広がる大きな地球の存在を実感します。

陶芸家でありながら大の美食家であった北大路魯山人は、著書の『魯山人味道』の中で孔子のこの言葉を繰り返し引用しています。

『人飲食せざるはなし、能(よ)く味を知るものの鮮(すくな)きけり』

飲食しない人間はいないけれども、本当に味を良く分かっている人というのはそうそういないものだ、という意味です。本当に味を良く分かっているというのは、その季節に一番美味しいものを知っているとか、素材そのものを活かした料理ができるとか、様々ですが、いずれにしても、常日頃から味覚を鍛えておくことが大切です。

ファーストフードのハンバーガーやコーラもたまにはいいものですが、季節関係なく常に同じ味の食べ物ばかり口にしていては、味覚はあっという間に衰えてしまいます。せっかく「旬のもの」「初もの」と季節ごとに美味しいものを食べられる文化に生きているのだから、ただエネルギー補給のためだけに食べ物を食べるのではなく、本当に味を知ってすする食事の方が人生も味わい深いものになります。まずはご飯と、初夏の季節ものを合わせて、自分なりの夏の味わいを食卓に並べてみてはいかがでしょうか。

これからの梅雨の季節は、長雨が何かとうっとうしいものですが、この時期の雨は秋以降に実る作物が良く育つための自然の尊い恵み。秋や冬にはまたやってくる季節の味わいを楽しみに想えば、梅雨もありがたいなあ、と心でじんわり感じることができます。

むすび書き:香音(かのん)



暦の待ち受け画面ダウンロード
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今回の暦の待ち受け画面
小満→芒種→夏至と、15日ごとに二十四節気は移り変わっていきます。つまり夏至はあと15日後。この芒種の季節は水田の季節。水田に植わっている青々とした稲の現在をお送りします。

「結火」では毎回、メールマガジンの配信と連動して配信された日の暦のケータイ用待ち受け画面をお送りします。その季節を代表する写真の上に、その日の旧暦での日付(2007年6月6日は、旧暦では4月21日になります)

そして、その日の月齢(2007年6月6日は、月齢20.7)が表されています。

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